会津塗の歴史

会津若松 鶴ヶ城

 

会津塗の歴史は古く、その繁栄には多くの人たちの努力がありました。

会津に漆塗が根付いていったその歴史です。

 

|会津塗りの始まり

会津の漆器の生産は遺跡などの出土品から縄文時代にまで

遡ります。

平安時代初期(約1,100年前)の漆の仏具なども現存していますが、

地元の需要向けのみの生産が続けられていました。

 

会津塗りの産業化は1590年に豊臣秀吉に会津移転を

命じられた蒲生氏郷(がもううじさと)に始まります。

蒲生氏郷はそれまで滋賀県の日野の領主でした(現、滋賀県蒲生郡日野町)。

日野は日野椀として漆器製造産地で名をはせていましたが、

転地にあたり漆器の職人たちを会津に木地師や塗師を

招いて会津に漆産業が始まったのです。

氏郷公は、利休七哲(千利休の高弟)の筆頭に数えられる文化人であり、

また信長の産業振興の影響を受けて、地元産業の発展のため会津漆器の基礎をつくり上げたのです。

会津塗りには400年の歴史があります。


輪島塗や津軽塗りより古くから発展していました。

 

|保科正之

会津初代藩主保科正之が漆の木の栽培を奨励する。

漆の木は漆の樹液とその実から当時高価であった蝋を採取した。

 

|蒔絵の導入

会津五代藩主松平容頌(かたのぶ)の時代、

家老の田中玄宰(タナカハルチカ)は漆産業の本格的な発展に勤め、

京より蒔絵師を招き消粉蒔絵手法を導入する

 

|会津盆と漆器の輸出

江戸時代中期には会津塗りは生産が盛んになって江戸では「会津盆」として人気を博す。

また長崎よりオランダを通じてオランダ、中国などの海外へ大いに輸出される。

会津の漆器は酒と蝋などと特品として藩の財政を支える。

 

|会津絵の完成

会津のオリジナル漆絵が江戸時代後期に完成される。

 

|戊辰戦争

会津の漆器産業は大打撃を受ける。

 

|明治中期

維新政府の産業振興策もあり、会津の漆器産業は復興し広く海外にも輸出される。