会津の赤べこ伝説

赤べこ

会津といえば赤べこ、赤べこといえば会津と日本人の脳内で自然と連想されてきますが、

今年は丑年、そしてコロナという災難もあって民芸品である赤べこがよく売れています。

 

ベコとは牛のことでつまり、赤牛のことをいいますが、

最近ヘルシー肉として人気の阿蘇のあか牛とは少し違うようです。

(*和牛には、黒毛和種と和牛である褐毛和種(あかげわしゅ)があります。

「あか牛」「赤牛」「褐牛」と書きますが、すべて読み方は「あかうし」です。

現在、日本の食肉あか牛は明治時代に生み出され、の70%は熊本で生産されています。

サシの入った黒毛和種と違い、赤身が主体です。

古い日本では、農耕などの労務用にあか牛が飼われていましたが、

褐色系だったようです。これがあか牛、赤べこになった??)

 

赤べこ伝説の由来に有力なのが会津の柳津町に伝わる一つの伝説です。

およそ1200年前、807年、徳一大師(とくいつだいし)が柳津町の圓蔵寺(えんぞうじ)の福満虚空蔵尊堂(ふくまんこくぞうそんどう)を建設していたときのこと、に、資材運びが難航していたのですが、どこからともなく赤い牛の群れが現れて手伝ってくれました。多くの牛や人が過酷な労働に倒れていくなか、完成まで懸命に働いたのが赤い牛だったといいます。これから、会津では赤べこを縁起の良いもの、幸運を運ぶもの、厄除けとして考えられ、「健康や長寿の象徴」としても親しまれるようになったといいます。圓蔵寺には今もなおこの伝説のモデルとなったと考えられる牛の石像が残されています。

赤べこは、郷土民芸品であり赤に下塗りした牛の型に、

黒の斑点と白の縁取りを絵付けした張り子人形です。

これを民芸品にしたのが、蒲生氏郷だったいいます。

生活に困っていた武士たちに京から職人を呼んで張り子をつくる技術を持ち込み、

圓藏寺の伝説にちなんだ赤べこを作らせたと言われています。

会津の産業の原点はすべて蒲生氏郷に行き着きますが、

これも伝説の一つかもしれません。

 

赤べこは、首がゆらゆら揺れて実に愛嬌のある姿をしています。

赤に黒い斑点と白い縁取りがお決まりですが、かっては青やオレンジなど色彩豊かでしたが、

今の配色になったのは大正期になってからのことです。

特に会津塗の漆の象徴の朱との関連があったのかもしれません。

(朱色の塗料が手に入りやすかった??)

 

黒い斑点は、その昔、天然痘が大流行した際に、赤い牛が子供の身代わりになって

子供を天然痘から守った言い伝えによるものだそうです。

子供を守る代わりに牛が天然痘になり、完治したあとに黒い斑点が体に残ったのだそうです。

 

天然痘の治療を開発したジェンナーは、牛痘(牛がかかる天然痘)の膿から種痘法を編み出しています。

すでに会津では牛痘と天然痘治療の因果関係を知っていたのでしょうか??

赤べこの黒い斑点の謎です。

 

会津に旅行するときには、赤べこがお土産に手頃です。

写真は、一個550円でお手頃価格です。